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ついにこの事を話すとは・・・
というほど、私をはじめ当時のバンドメンバー全員が震えおののいた事件が
「白馬合宿」事件、です。
この前年に私と、スリーハーフラブ結成以前に活動を共にしていましたボーカルのNさんと音楽ペンション、その名も「リゾートイン アコースティック」にて音楽合宿を敢行しました。ここでの学びが私きよをバンドにおける「リードギタリスト」へと成長させてくれたひと時でありました。
で、その翌年に「SHADY DOLLS」コピーバンドのスリーハーフラブを結成して、毎週(だったか毎月だったか・・・)熱い練習を続けていました。当時はライブをやるという目的はなく、ひたすら課題曲を演奏するといった活動でありました。そこでNさんから「昨年も行った白馬のペンションに、今年はバンドで行こう!」という発案があり、皆同意したのでした。
日取りも決まりまして、早速長野は白馬村にある「リゾートイン アコースティック」へ乗り込んだわけです。何日泊ったか記憶はないのですが、朝から夕方に至るまでひたすら演奏していたのを覚えています。今だったらそこまでの体力はないでしょう。当時は皆若かったのです。そこでは名古屋のスタジオでは得られない演奏技術の向上とバンドメンバー同士のグルーヴが培われていったように思います。
事件は何日目かの夜に起きました。宿泊客が集まって食事をする部屋には小さなステージがあって、そこで夜な夜な誰かしらが演奏できるようになっていました。
その時誰からというわけでもなくマスターに「俺たち、そのステージでやらしてくんない?」みたいな声をかけたのです。マスターは事もなげにヤンワリと断ってきました。え?ダメなの?みたいな失望と呆れた感情が湧きました。宿泊客なんだから、やらしてもらっても、良いんじゃない?といった不満にも似た気がしてきたのです。これは私だけではなく、バンドメンバー全員がそう思っていました。そこで繰り返しステージで演奏させてほしい旨を訴え続けました。そうするとマスターは半ば呆れたような感じで「じゃあいいよ」と渋々了承しました。
ただし、と条件を付けました。「ボーカルはマイク無し」「ギターはアコギのみ、アンプ使用させない」「ドラムは生ドラムのみ」という内容でした。私達はやや戸惑いましたが、いいチャンスだ!とばかりにそのステージへ上がったのです。
演奏を始めました。ボーカルのNさんは張り裂けんばかりの声量で歌いました。ドラムのMさんもグルーヴィーなフレーズを叩きます。で、私はなんだかとても演奏しづらいことに気が付き始めました。自分のギターの音がほとんど聞こえないのです。力いっぱいストロークしているのですが、自分では全くと言っていいほど聞こえません。段々焦ってきました。ギターソロに差し掛かると、いつもと同じ調子でいつものフレーズを弾くのですが、6本の弦を激しく弾いても音が聞こえないのに、1本の弦しか鳴らさないギターソロなぞ、全く聞こえるはずがありません。仕方なくなるべく1本の弦で弾き切るフレーズではなく、2本の弦を同時に鳴らすような、やや単調なフレーズで弾くことにしました。単調なフレーズを弾いたところで生のドラムの音量に勝てるはずがなく、そのまま演奏はドラムの音だけが鳴り続けただけで終わりました。
それを終始見ていたマスターは拍手するでもなく、こわばった表情で私たちに言いました。「ドラムの音しか聞こえなかったよ。ボーカルもギターも全然聞こえなかった。」と突き放されました。おまけに言われたのが「ボーカルは歌詞見ながら歌ってたけど、ロックで歌詞なんか見て歌ってたらダメだよ。」「もう一人ギターがいるのに、なんで彼は演奏に加わらなかったの?」
うーん、ぐうの音も出ませんでした。もう一人のギタリストであるYさんは、当時まだ曲の構成が理解されてなくて、上手く曲を弾くことが難しいのではないかといった考えで、あえて彼抜きで演奏してしまったのです。歌詞は・・・Nさんはそれほど深くは考えていませんでしたが、そう言われるとバツが悪そうにうなだれていました。私は演奏中に感じていた「自分の音は全く聞こえていなかった」という事を思いっきり指摘されたことで、悲しい気持ちになりました。私達のついさっきまでの自信は音を立てて崩れ落ちたのです。
マスターも客相手に嫌な言葉は言いたくなかったと思います。それでも私たちが向う見ずに演奏を希望した事で、ちょっとお灸をすえたのでしょう。それはこれから私たちが伸びていくための試練だったのかも知れません。
今考えるとあの時はどう演奏すればよかったのか?今でも時々考えます。まずボーカルの声量を確認することが第一でしたね。ボーカルが聞こえないのでは、バンドとしての演奏では全くの無意味ですので、マイク無しで歌うのならば、そのボーカルの音量をいかに殺さずに演奏するか、そこが最も大事だったと思います。ドラムはどうでしょうか?バンドの中で唯一音量調整できない楽器がドラムです。普段のバンド演奏で叩く音量ではなくて、例えばブラシを使って音量を下げつつ、曲のムードを変えないような叩き方をするのが良かったです。ギターに関してはどうしても力いっぱいストロークしてしまいがちなので、もう少しブルージーな弾き方で、ボーカルやドラムを引き立てるフレーズを組み立てるのがいいと思いました。もっとブルージー、もしくはジャジーに演奏スタイルを変えることが必要だったのかなと。
しかし当時の私たちはそういった知識も実力もなかったと思います。つまり「なるべくして、なった」結果でした。この時の記憶は私が音楽を続ける上で、最も苛烈かつ最も大切にしていく糧となりました。今は宅録が主なのであまりそういった事は意識しないですが、それでもバンドアレンジを考えた時に、よりリスナーに全ての演奏が聞こえているか?良い音で耳に届いているか?そんな事を考えるようになりました。後年、NさんやMさんとこの時の話をすると、すごいショックを受けたことを思い出します。この事が我らスリーハーフラブがバンド活動をする上での大切な金言となったな、と思い返します。あれから随分時が経ちましたが、あの初々しかった自分を昨日の事の様に思えてなりません。
今回はこれで筆を置きます。最後までお読みいただきありがとうございました。
では、また
きよ
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