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昨日から書いてます、私きよが歩んだバンドマンとしての活動記録であります。今回は私が21歳の時の話です。
先日書いた音楽雑誌「バンドやろうぜ」のバンドメンバー募集コーナーになんと女性からの応募がありました。当時私は岐阜県穂積町(現:瑞穂市)に住んでいまして、その方は岐阜市の人でした。それでやりたいのが「ZIGGY」(ジギー)のコピーバンド、とのことでした。その人はベースとボーカルをやりたいとのことで、ZIGGYというあまり聞きなじみのないバンドのコピーをするという事が、あまりピンとこなかったのです。ZIGGYという名前は知らなくても「GLORIA」という曲は知っていました。当時はバンドブームが落ち着いてきた時期でもあったのですが、その中でもよく耳にした曲でありました。バンドそのものはやや強面な感じでしたが、曲は割合聞きやすいPOP寄りのロックという印象でした。
曲自体はそれほど難易度も高くなくて、当時はバンドスコアもほとんど買ったことがありませんでしたが、この曲はそれほど時間をかけずにコピーできた記憶があります。ただ1曲だけでは物足りないという事で、もう1曲「tokyo city night」という曲をコピーしました。この曲も思ったよりは簡単にコピーできました。
当時はまだスマホどころか携帯電話も珍しく、もっぱら公衆電話が連絡手段でした。ポケベルも使っていた時期がありました、この頃はまだなかったと思います。そんな中、その方に連絡を取りまして、当時まだ名鉄の新岐阜駅に隣接していたダイエーの音楽スタジオで初顔合わせしました。お互いにバンドとしてやっていこうと思ったのは、実質的にこれが初めてでした。それで練習をしようという事になって、ギターを弾くのですがお互いにどこを弾いているのかわからなくなるという、超初歩的なトラブルもあって、2時間くらいの間互いにモタモタしているうちに終了。何となく「今回のスタジオで終わりかなー?」という気持ちでした。
しかしその予想は何となく外れまして、その方から連絡があったのです。「新しくドラムの人を見つけたので、また一緒にやりませんか?」というお誘いでした。おお、マジか。それで次は先回と違うスタジオ・・・北方町かどこかにある寂れたスタジオに入ったのでした。初めて会ったそのドラムさんは、もともとベースをやっていて、今回ドラムをやってみたいという方でした。早速曲を演奏するのですが、ベースさんが「歌いながらベースを弾けない」という事態になりまして、ドラムさんもちょっと苦笑気味でした。で、またまたモタモタしているうちに終了。「今度こそこのバンドは終わりだな」と思ったのです。
さて、この話はどうなるのか?まさかの展開が!?
今回はこれで筆を置きます。最後までお読みいただきありがとうございました。
では、また
きよ
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