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読者の皆様。あけましておめでとうございます。本年も”きよ、ギターひとり旅”をよろしくお願いいたします。
さて、今回は「売っちゃったギター」シリーズです。
アイキャッチにある写真のギター、ヤマハの
APX-8
という型番のエレクトリックアコースティックギター(以下エレアコ)です。
買ったのが1996年頃だったと思います。ちょうど私が三重から横浜に転勤になる頃に購入しました。伏見にある「ヤマハ本店」でした。当時はギターを弾き始めて7年目くらいで、まだそれほど技術も知識もない頃でした。店員の薦められるがままに買いました。
当時はこのAPXというシリーズが流行っていて、このギターを買う事自体は全然良かったですね。格好も良かったし、音の良さはよくわからなかったですが、とても弾きやすかったです。
で、このギターをぶら下げて単身、横浜へ転勤しました。
この頃はまだオリジナル曲を作っていなくて、長渕剛、尾崎豊、浜田省吾などのシンガーソングライターの曲のコピーばかりしていました。
ただ何かしら録音したいという気持ちは強くて、当時購入したのが(過去にも紹介しました)ヤマハの
MD4
というMTR(マルチトラックレコーダー、多重録音機)で、何か適当に弾いて、それに別のフレーズを重ねて録ったりして遊んでいました。
この頃にオリジナル曲を作りたいという気持ちが段々芽生えていったように思います。それがどんな形なのか、想像もしていなかったのですが、その当時ちょっと
気になってる女性
がいまして、その女性がすごく真面目だったのですが、何か仕事で苦労して本当は人に夢を見せたくて上京してきたのに、それが叶わなくて自分自身が疲れ果てていく・・・みたいなストーリーを思い描いてました。
それがきっかけで初めてオリジナルで作った曲が「夢が破れそう」という曲でした。
これは作ったオリジナルの録画ではなく、後年ボーカロイドで作った物になります。
で、その曲を作った時に使ったのがAPX-8でした。
エレアコなので、マイクを使った録音ではなく、ライン入力できたので、MD4にそのまま入力して録りました。ヤマハ特有のプチプチした音で、独特のその音は当時の私の気に入っている音でした。
当時の作詞は今みたいなスラスラと書けるようなスキルもなかったので、大学ノートいっぱいに散文詩を書いて、そこから使いたい言葉を選んで歌にしていくという、面倒な作り方でした。
どちらかと言うと、やや翳りのある暗い感じの歌なのですが、割と共感してくれる人がいた曲でありました。
話は逸れるのですが、横浜時代に社員旅行がありまして、その時に宴会芸としてそのギターを持って行きました。で、同僚と共に当時人気だったSPEEDの「WHITE LOVE」を歌った記憶があります。
で、この社員旅行が楽しかったのですが、調子に乗った男性社員が女性風呂を
のぞき
したとかで、全員捕獲され廊下に
正座させられた
らしいのです。実にゆかいな仲間たちです。その夜眠れなくて、その正座をさせた「強面の女性社員」と夜が更けるまでビール片手に話をした思い出があります。
やがて季節は過ぎて、紹介しました気になっていた女性社員が、東京のお台場に転勤することになりました。その女性のために送別会が開かれまして、一言ずつ別れの挨拶をした時の事です。
私が普通に「今までお世話になりました、行った先でも頑張って下さい」と話したところ、なんとその女性は
私、きよさんに一番なついていたんです!
と赤裸々に叫ぶがごとく打ち明けました。酒が入っていたのか、気が大きくなっていたのかもしれません。もしその時にその女性にアプローチしていたら、私の人生は違うものになっていたかもしれません。というのも、当時は既に別の彼女(今の家内)と付き合っていたので、それは叶わない事でした。
話はだいぶ逸れましたが、やがて1999年終わりごろに私の退職が決まっていて、それと同時に愛知へ帰郷することになっていました。
思い出のギターAPX-8 でしたが、横浜時代によく弾いていたギターです。横浜を離れる時に楽器屋さんに売りました。なんとなく惜別の思いで手離したのです。その女性はやがて結婚して2児の母になったと後年知りました。
横浜にいた頃の、良かった記憶の中の話でした。
今回はこれで筆を置きます。最後までお読みいただきありがとうございました。
では、今年もよろしく願いいたします。
きよ
長寿命とクリアな音質で知られるエリクサーのアコースティックギター弦です。私きよも愛用しています。これ使ったら半年は弦張替えません^^
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