東海道線フォークジャンボリー 11月11日

随筆
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11月11日は「ベースの日」らしいですね。ベースギターは弦が4本だから、というのがその理由ですが、ウクレレも4本ですよね。マンドリンは厳密には8本ですが、チューニングを考えると4本と同じような気がします。

さて、先日少し触れました「東海道線フォークジャンボリー」というイベントについて、お話させていただこうかと思います。

私がストリートライブに飽きてきたといいますか、限界を感じ始めた頃に思いついたのが

  • 集客が難しい
  • 無料で
  • それなりの技術の弾き語りのプレイヤーが
  • 集まりやすい場所に集う

というようなコンセプトでした。
つまり理想は

無料で参加できる、歌う人がそのままお客さんになって、その前で歌を披露する事が出来る

というものでした。

東海道線、と銘打ったのは、その名の通りJR東海道本線の沿線の人が集まりやすい・・・
イコール駅から近い、という意味から付けました。

昔の邦楽に詳しい人なら一度は聞いたことがあるでしょう「中津川フォークジャンボリー」をもじっていることは想像に難くないかと思います。

1回目は私自身の地元である一宮市のスポーツ文化センターというところの会議室を借りて開催しました。

参加人数は私を入れて

4名!

これ少ないとみるかどうかは、読み手側の判断に委ねますが、自分のホームページに書き込んだだけで反応があったというのは、今どきの言葉で言う「ゼロ→イチ」というやつで、全くなかったところから新しいものが生まれたのだと、改めて思います。

余談ですが、実際のライブハウスでも集客力のないバンドの客数は4人とかだったりするので、そんなに悲観するわけでもなかったです。

この第1回だけはPA設備がなく、マイク無しの生音だけの素朴なものでした。

それから規模は少しずつですが大きくなりまして、それでも3人しか集まらなかったり、苦難はありましたが、平均して10名ほどの参加を頂けるようになりました。

やはりマイクがあった方が良いだろうという事で、私が私財を投げうって当時4万円くらいのPA設備を買いました。それを使うようになってからはずいぶん本格的になってきたな、と思いました。

主に公民館でやることが多かったですが、一番規模が大きかったのは江南市の「すいとぴあ」という施設の大宴会場を貸し切って行ったものでした。あの時は15人くらいの参加者プラスその家族や知人といった感じで、企画した私としても、非常に感慨深いものがありました。(しかし江南にはJRの駅は無いですね)

合計10回開催したこのイベントですが、色々と問題点や転機が訪れていました。

まず、自分の自己制作のCDを売り始める人が現れ、苦情が出てきた事でした。当時はライブハウスで言うところの物販という概念がなかったので、売られる方はあまりい気分ではなかったですね。

あと、世の中に「フォーク喫茶」「フォークソングのライブハウス」というものが増えてきて、そちらの文化が形成されていったことです。同じやるやらば、やはりそういった店舗でやった方が、気持ちよく歌えるし、集客もしやすいかと思います。

それと私の音楽に対する考え方がまた変わってきまして、先日書いた「ストリートライブではバックのプレイヤーがいない」という事が発展してきて「バックに【ロックバンドがいない】ことへの不満」が出てきたことです。

フォーク=アコースティックギターでの演奏のみ、というマンネリからの脱却を模索し始めた私はこの第10回を最後に開催を中止しました。

この判断は今でも間違っていなかったと思います。世の中には「路上ライブ」「フォーク系ライブハウス」があって、その狭間にあるフォークジャンボリーの存在意義は一通りの役目を果たしたと、思いました。

そして、ここでとあるミュージシャンとの出会いが、私の音楽人生を左右する出来事へとつながります。

その件はまた後日書きます。今回はこれで筆を置きます。

最後までお読みいただきありがとうございます。ではまた。

きよ

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