浜田省吾コピーバンド「スティック」12月25日

随筆

PR

私が前の職場にいた頃・・・1998年くらいですが、初めてバンドらしいバンドに加入したことがありました。バンドメンバー募集雑誌「BANDやろうぜ」(だったと思います。まだネットでのメンバー募集サイトはなかったはず)で結成したバンドで、レパートリーは「浜田省吾のコピーバンド」でした。

メンバーは「ボーカル&ギター、ギター、ベース、ドラム、サックス」の5人でした。

私はギターの担当でした。この頃はまだギターソロのスケールとか分かっていない頃で、適当に弾いてなんとか様になっていたような有様でした。

何曲か候補曲を決めまして、よくスタジオまで練習に行きました。当時は横浜に住んでいまして、東横線のどこかの駅で降りたところのスタジオだったり、新横浜駅の近くのスタジオだったり、若かった私にとっては楽しくて仕方なかった頃でした。

「My Old 50’s Guitar」という曲がありまして、延々ギターソロが続くような曲もレパートリーに入っていまして、これもすごく練習してほぼ完全コピー出来ていたと思います(自分では、ですが)

バンドだから、やっぱりバンド名を決めた方がいいという話になりまして、決まったのが

「スティック」

という名前でした。これはメンバー全員の名字の頭文字を取って並べたものでした。

そんなものでさえ、楽しく思えた若いバンドマンだった私でしたが・・・・・・

私にとって

恐るべき事件

が、起きてしまったのです!

この事件は2024年12月現在も尾を引いている、私のバンド人生、いや音楽活動全般において、計り知れない大事件だったのです。

その大事件については、また後日お話しできると思います。

今日はここまでで筆を置きます。最後までお読みいただきありがとうございました。

では、また

きよ

コメント

タイトルとURLをコピーしました