路上ライブの飛び入りギタリスト

随筆
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私は25歳頃に金山駅でよく路上ライブをやりに行ってました。

当時使っていた茶色のストラトと、

通称「子マーシャル」ことMS-2

これを持ってストリートライブに殴り込み・・・

その頃は「ゆず」「コブクロ」などストリートミュージシャンが注目され、ヒット曲を出していた時代背景もあって、毎週日曜日にはあちこちでギター片手に演奏しているのを見たのものです。

ただ、年代が僕よりもかなり若く、聴いたり演奏するスタイルも全く違う私の歌には、誰も耳を傾けませんでした。それは仕方がなかったです。何しろ「全部オリジナル曲」だったからです。

無論オリジナル曲がすごく良い曲ならば、皆が注目するでしょう。でも私の作る歌は内容も暗く、マイナーコードで終わるような曲ばかりでした。

たまたま僕の前に2~3人の女子高生くらいの子が来て「何か弾いてよ~」というので、とりあえず自分のレパートリーを弾くために、最初のコードは「Em」だったのですが、その一音聞いただけで

「何それ?暗~い」

と言って立ち去っていきました。おいおい、そんなこと言って、マイナーコード使った曲なんて多分「ゆず」も「コブクロ」あると思うぞ!と心の中で叫んだのでした。

一時期は「最新ヒット曲2001年版」みたいな分厚い歌本を買ってきて、その中の売れている曲を必死に耳コピして、歌詞カードも作って歌いに行ったこともあります。この作業のおかげで耳コピ力が培われたという事もありましたが、なんだか魂を売ったようで、解せない気持ちにさせられました。

結局自分のやりたい曲は封印することにしました。それは人が聴いてくれなかったということも大きかったですが、それ以上に「バックで誰か弾いてくれる人がいないと盛り上がらない」と思ったから、です。当時は既にMTR(マルチトラックレコーダー、多重録音機)で曲を取り貯めしていて、演奏の合間に入るギターソロが肝だと考えてたからです。

でも、私のバックでギター、それもギターソロを弾いてくれる人なんていませんでした。私がそれを募っていなかったからだと言えばそれまでですが、何しろ「ギターソロがない歌なんて、考えられない!」と思っていました。

誰も弾く人がいない・・・「だったら俺がそれをやればいい!!」と逆転の発想が浮かびまして、これならイケる、と思ったんです。私は余程難しい曲でなければ、当時は大体の曲にアドリブソロを入れられるだけの自信も実力もありました。

で、家にあった茶色のストラトと通称「子マーシャル」と呼ばれた電池式のギターアンプを持って、「ゆず」とか弾いている連中にまさに飛び入りで「すいません、バックで何か弾いても良いでしょうか?」と尋ねて回りました。彼らはきょとんとした顔をしましたが、嫌がることもなく、ゆずやコブクロ、19などの曲にアドリブでギターを弾きました。数曲弾いて「ありがとうございました」とだけ言って、また違うグループのところで「すみません、裏で弾いても良いですか?」と言って回ったのでした。

今にして思えば、よっぽど音楽が好きな人からしたら、悪い気はしなかっただろうし、もしかしたら「下手なギターはいらないから、あっち行け!」と罵られたかもしれません。でも彼ら若い人たちは内心「変なおじさんが仲間に入ろうとしてきて、キモいんだけど」くらいの印象だったように思います。彼らがどの程度本気で音楽と向き合っていたかはわかりませんが、私には「俺はオリジナルで勝負してる!」という変な自信があって、それが空回りしていたように思います。

そうして路上ライブは段々やらなくなりました。

でもここから学んだことがあります。

ひとつは「知っている曲をやらないとウケない」ということと「歌う場所がなかったら自分で作る」という事でした。

こうしたところから、私は自主企画「東海道線フォークジャンボリー」というイベントを開催するようになりました。金山も含めて、JR東海道線の駅近くの場所で存分に歌える場所を作って、歌いたい人たちを募って、みんなでそれを見る・・・そんな企画をやってました。

「東海道線フォークジャンボリー」については話が長くなるので、また次の機会にします。

今回はこの辺で筆を置きます。最後までお読みいただきありがとうございました。

では、また。

きよ

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